こんにちは、たこすです。
本日はメガバンクの負の歴史の一つをお話ししたいと思います。
ただの料亭の女将に日本興業銀行(現みずほフィナンシャルグループ)を中心とした金融機関が7,000億円以上も融資して焦げ付いた、負の歴史のお話です。
なぜ、ただの料亭の女将にここまで様々な金融機関が貸し込んだのか、解説していきます。
尾上縫とは
尾上縫は、大阪府大阪市千日前にあった料亭「恵川」の女将兼経営者です。
奈良県出身で、大阪ミナミのすき焼き店「いろは」で仲居として働くうち、店の客である経済界の有力者の支援で、旅館「三楽」を購入改装して30代半ばで料亭「惠川」の女将になりました。
相場が的中する女将の噂
料亭を利用するお客さんに対し、尾上はいくつかの預言をしました。それは、値上がりする株の話や競馬の馬券の話もあったようです。
この尾上縫の預言がことごとく的中するようになり、次第に証券会社も注目するようになっていったようです。
縫の会
尾上縫の噂は大阪中に広まるようになり、料亭「恵川」の隣にある「大黒や」に30人以上の証券マンなどの金融機関関係者が尾上縫の予想を聞きに集まるようになりました。
毎週日曜日夕方に行われるそのパーティーは「縫の会」と呼ばれていました。
尾上縫の予想が当たる理由
実はここまで来ると予想は当たりやすくなります。
尾上縫が銘柄を予想→全証券会社がその株を買う→株が上がるという一連の流れが成立します。
今では考えられないですが、当時の株式の流動性を踏まえれば起こり得た事象でしょう。
興銀(みずほ)との取引開始
尾上縫は興銀の割引金融債を10億円を購入することで取引を開始しています。今で言う社債に近い性質のものです。
当時は個人投資家で興銀の金融割引債を購入する人はまれだったので、当時の興銀にとっては相当インパクトがあったようです。
尾上縫への融資を開始
定期的に割引金融債を購入する尾上縫から融資の依頼がありました。
当時の日本興業銀行(興銀)と言えば、法人向けの銀行としてはNo. 1の金融機関でした。ちょうど興銀は事業の多角化の一つとして個人向けの取引を拡大しようと考えており、この申し出は渡りに船だったようです。
絶対に焦げ付かない貸し出しスキーム
興銀の融資は絶対に焦げ付かない方法で行われました。
尾上の持っている興銀の割引金融債を担保に貸し出しをするのです。定期預金を担保に借り入れをするのと一緒です。
尾上縫のメリット
この借り方では尾上にはお金が入ってこないどころか、無駄に金利を支払うだけなので、何もメリットがありません。
ではなぜ尾上は興銀から融資を受けたのかと言うと、信用力の強化です。
天下の興銀が金を貸しているなら大丈夫。という判断で他の金融機関は無担保でも尾上に融資を実行して、尾上はその金で更に株を買うという流れを実現出来たのです。
ピーク時の興銀の融資額
報道によると、ピーク時は興銀および子会社の興銀リースの融資額は2,400億円で、興銀の尾上縫に対する融資額は東京電力に次ぐ2番手まで膨れ上がっていました。
この数字を見ると当時の異常性に気付きますね。
興銀の融資残高ランキング(91年3月)
※尾上縫のみ90年10月ピーク時
バブル崩壊によって株価が下落
バブルが崩壊すると、株価が下落し出しました。当時の尾上の負債額は7,000億円を超えており、1日の支払い利息は1億円以上でした。
下がり続ける株価と支払い利息に対応するために尾上は暴挙に出ます。
東洋信金と組んで偽の預金証書を作成
東洋信金の今里支店長と結託し、偽の預金証書を作成しました。その額はなんと3,240億円。
尾上はこの預金証書を担保に更に金融機関から借入をすることで、利息の支払いや融資の返済に対応したようです。
詐欺事件の発覚
もちろんこの詐欺事件はすぐに発覚します。この融資を不審に思った金融機関から東洋信金の役員に照会が入り、それを取引店である今里支店に照会したところ、支店長が偽造を認めたとのことです。
東洋信金は倒産回避
東洋信金は約2,520億円の損失を抱えており、自力再建は困難でした。ただ、大蔵省と日銀としてはなんとしても戦後初の金融機関倒産は回避したいという意向があり、三和銀行(三菱UFJ銀行)が吸収合併する形になりました。
興銀も手痛い損失
この再編において、興銀は東洋信金あての債権放棄と三和銀行に対する利益供与で700億円以上の損失を受けています。興銀のプライベートバンキングビジネスは失敗に終わりました。
他の有力銀行は実はずっと前に引いていた
では、他の有力銀行は尾上縫にどう対応していたのか。
実は、興銀が取引を開始する87年より2年も前の85年に、住友(三井住友)、三和(三菱UFJ)、大和(りそな)は揃って尾上縫との取引をやめています。
ある支店に預金をしてはその預金を担保に借り入れるという動きを何度も行っていることに不審を感じて取引を切ったようです。
興銀は個人取引に慣れていなかったのでそういった個人取引での引き際が見極められなかったと思われます。